はじめに
膀胱腫瘍と診断したワンちゃんを現在治療しています。膀胱腫瘍は犬で見られる腫瘍全体に比較すると比率が少ないですが、尿路系の腫瘍では最も多い腫瘍です。そのワンちゃんの病態を紹介しながら、本疾病を知って頂こうと思います。
今回の患者さん
柴犬、10歳、雄、体重10.3kg、既往歴は以前から見られるアトピー性皮膚炎の治療。
問診
後ろ足をビッコ引く。体を震わせていることがある。
一般身体検査
右後ろ足の診察では大きな異常を認めない。
直腸検査で、前立腺の肥大?前立腺の触診で痛みを訴える。
この時に「前立腺肥大かな?とりあえず、右の後ろ足と腹部のレントゲンを撮ってみましょう。」と提案しました。
単純レントゲン検査
前立腺の陰影拡大、膀胱内と思われる部位に石灰沈着したような腫瘤病変を認める。
膀胱内に結石が形成されたのか腫瘍が石灰化を伴っているのかな?と考えました。
後ろ足のレントゲン写真では異常が見つけられませんでした。
オーナーさんへの説明
ここでオーナーさんには膀胱内への腫瘍形成の危険性もあり、精密検査をすることを勧めました。
- 尿検査
- 膀胱造影検査(陽性造影検査、2重造影検査)
- 血液検査
- 腹部超音波検査
- もし腫瘍の疑いがあれば、腫瘍の細胞診(腫瘍の細胞を注射針で吸引採取して検査をすること。)
精密検査結果
検査結果を簡潔にまとめます。
膀胱2重造影検査、腹部超音波検査の結果より、膀胱の腹側から腫瘤が発生している。その腫瘤は膀胱に固着しており大きさは45mm×30mm程度。エコー ガイドで細胞を採取しその細胞検査より悪性の上皮系の腫瘍を疑う。血液検査でBUNが上昇、尿検査より低比重尿を認め、腎不全を疑う所見があげられた。
レントゲン写真1(No1437)
膀胱内に形成された腫瘤です。膀胱は造影剤を少しだけ注入し、あとは空気を入れて膨らませてあります。白くて丸い固まりが膀胱内の腫瘤です。よく見ますと膀胱の尾側と頭側にも小さな腫瘤が認められます。(膀胱腫瘤の右上と左下にあります。矢印で記します。)

レントゲン写真2(No.1434)
仰向けにして撮った別の写真です。
膀胱内の腫瘤は1カ所ではなく、多発していることがよくわかります。この写真でも膀胱の下側に白い小さな腫瘤が認められます。

よって膀胱癌、腎不全と診断し治療方針を模索しました。
膀胱癌の治療は、外科切除と、抗がん剤をはじめとする内科療法とに分けられます。しかしこの病気の持つ深刻さと治療の難しさにより治療方法の決定に苦慮しました。そしてさらに検査を勧め外科療法が可能かどうかを模索しました。
排泄性尿路造影検査
尿 路造影に用いる造影剤を静脈内投与し、尿路に異常がないかどうか、尿管開口部付近に問題がないかどうかチェックしました。結果は両側の腎臓ともに造影され 排泄能力には問題がないように思われる。また尿管の走行も正常と判断され尿管内への腫瘤の転移の可能性も否定的で、尿管の開口部付近の腫瘤により排泄障害 がおこっている危険性も否定的だった。
(再度)腹部超音波検査
両側の腎臓ともにエコー検査では転移の可能性、腎臓の形態変化とも問題ないように思われた。
ここでオーナーさんに対して病状の説明と適応できる治療方法を一通り説明いたしました。
説明内容
膀 胱腫瘍は全腫瘍の1%を占めるが、尿路形の腫瘍では最も多い。膀胱腫瘍は通常悪性である。良性だったのは3%と述べられている。移行上皮癌が最も一般的な 膀胱腫瘍のタイプである。他には扁平上皮癌、線維肉腫、平滑筋肉腫、血管肉腫などがあり、良性腫瘍では、線維種、平滑筋腫、乳頭腫が有る。
転移率は膀胱腫瘍を診断した時点で既に50%に達している、剖検により更に25%の症例に転移が見つかっている。転移の好発部位は腰椎下リンパ節、骨盤、腰椎そして肺である。
- 正常部位で切開して、膀胱内の腫瘤のみを摘出する方法は?
- 膀胱三角に極めて近接、多発性腫瘤なので摘出出来るかどうか分からない。
- 血管支配の多い部位で激しい出血が予測される。術後出血の可能性もある。
- 術後の再発の可能性、播種性に腫瘍が転移する可能性が非常に高い。
- 膀胱の全摘出術は?
- 膀胱内に多発した腫瘤形成。腫瘤の大きさから判断すると全摘出術が最もベストな方法。
- 尿 路の変更をどの部位で行うかが問題。(遠位回腸か近位結腸に吻合する方法。)しかし腸管を尿道として使用する為の合併症がある。高アンモニア血症性脳症、 高クロール性代謝性アシドーシス、高窒素血症などによる意識沈鬱、食欲不振、嘔吐、胃腸の刺激、体重減少、痙攣、昏睡などが起こる、また上向性腎盂腎炎や 進行性腎不全も起こる。
- 移行上皮癌の前例の半分は転移性病巣を発現してくるので本法は緩解的治療と考えるべき。
- 術後の最高生存期間は5ヶ月。
- 尿路の変更をその他の部位に行う(尿管-尿道吻合。または包皮内に開口)ことについては、症例がまた十分調査出来ないが行われてはいる方法。QOLの低下は予測される。
- 内科療法は?
- ピ ロキシカムは必要。0.3mg/kg SID 55頭中2頭は完全緩解、7頭は部分緩解、32頭は現状維持、14頭はそのまま進行。非ステロイド抗炎症薬でここまで管理出来たら使用した方が良 い。しかし期待しすぎることは出来ない。シスプラチンとの併用は効果が期待出来るが、腎毒性も惹起し易い。
- 他の化学療法は?
- シスプラチン:部分緩解は症例の39?75%、生存期間の中央値は130日と150日と報告。シスプラチン60mg/m2 3?4wks、腎毒性は起こるので注意。18頭中0頭の完全緩解、3頭の部分緩解、4頭の現状維持、9頭はそのまま進行。
- カルボプラチン:シスプラチンと比較して腎毒性は少ない。300mg/m2 3wks、12頭で治療したが反応は見られなかった。効果はあまり期待出来ない。
- ミトキサントロン:6頭中1頭に部分緩解が得られたと報告。
- アクチノマイシン:6頭中1頭に部分緩解。
- ドキソルビシン:5頭中1頭に部分緩解。
- ドキソルビシン、サイクロフォスファマイドのコンビネーション:使用したとの報告が有るのみ。生存日数は中央値が259日と長め。
- 放射線療法は?
- 完全な治療を行った犬での生存期間はほぼ4ヶ月と報告。別の研究者は治療後61%の犬が1年間生存したと報告。副作用は尿管狭窄、水尿管、水腎症、排尿困難、頻尿、尿失禁を起こす膀胱の線維症。ほとんどは局所再発、転移により死亡する。
膀胱内への薬物注入方法は人の膀胱癌で浸潤性でない場合に適用されるが、犬ではそれほど適用されていない。犬の膀胱腫瘍は人もそれと比較しても乳頭状で粘膜固有層や筋層にまで浸潤していることが多く、膀胱内注入療法を行っても薬物が適切に到達出来る可能性は低い。
PDT(フォトダイナミックセラピー)は現在研究中である。
用語
- 完全緩解
- 腫瘤の完全な消失。
- 部分緩解
- 腫瘤の容積が50%以上小さくなったもの。
- 病状安定
- 腫瘤の大きさが50%以内で小さくなったもの。
- 病状進行
- 腫瘤の大きさが50%以上大きくなったもの、新たな腫瘤の出現。
参考文献
- Small Animal Clinical Oncology
- 世界動物病院協会会誌
- Small Animal Surgery
- Surgeon
- BSAVA 小動物腫瘍学マニュアル?
- 小動物の腫瘍学
治療
治療方法としては外科療法ではなく、内科療法を選択しました。
理由は腎不全があり手術に対して麻酔リスクが生じる。腫瘤が多発しているので完全切除をするなら膀胱切除になる。文献調査で膀胱癌の症例は生存期間が短く 根治が期待できないこと。これらの理由により、非ステロイド系の抗炎症薬のピロキシカム(商品名バキソ)と抗がん剤のドキソルビシン(商品名アドリアシ ン)と抗がん剤のサイクロフォスファマイド(商品名エンドキサン)を使用していくことに決めました。
ピロキシカムは毎日投与。抗生物質も膀胱炎症状があるので毎日投与。ドキソルビシンは3週間ごとに点滴投与。サイクロフォスファマイドは3週間ごとに内服投与としました。
経過
経 過は、癌そのものは触診上で認められますが、悪化はしていないようです。抗がん剤の投与も大きな副作用が認められず、順調に予定を消化しています。腎不全 は悪化したときには皮下補液や点滴で改善させてから、薬剤投与を行っています。近日中に造影検査を行い、腫瘤の状態を評価します。
最後に
膀 胱癌の治療の難しさを改めて痛感しています。膀胱癌の転移率は診断時で50%、死亡時点では更に25%と極めて高い転移率を示します。膀胱全摘出術は外科 療法ではベストな選択ですが、尿路の変更には数種類の変更術の検討が必要です。術後の最高生存期間が5ヶ月と考えると、術後のその合併症を考えると十分な 議論をオーナーさんと行う必要があると考えます。ワンちゃんのがんばっている姿を見て、更に新しい治療方法を切望します。